【映画紹介&感想】ガメラ 大怪獣空中決戦
http://cinemakadokawa.jp/gamera/index.html
公開:1995年3月11日
製作会社:大映
配給:東宝
監督(本編):金子修介
監督(特撮):樋口真嗣
脚本:伊藤和典
音楽:大谷幸
いわゆる『平成ガメラ』シリーズの発端となったこの一作。
昭和に展開していた映画からは切り離し、シナリオをリセットして現代(といっても1995年ですが)に合わせた展開を切り開きました。
空想を交えながらも様々な面からリアリティを重視することで、『もしも本当に怪獣が現れたら』という、現実と地続きの面白さを提供してくれます。
映画界での評価も高いようで、『キネマ旬報ベストテン』1995年6位にランクイン。このベストテンにランクインした怪獣映画は前例がなく、後続も『シン・ゴジラ』を待つこととなったとか。
私も既に何回か観ているこの映画、観返したところ相変わらずとても楽しい映画だったのでご紹介したいと思います。
~あらすじ~
太平洋上を航行するプルトニウム輸送船が、突如として謎の環礁に座礁するという事件が発生する。
幸いにも大事には至らなかったものの、あるはずのない環礁は海流に乗って姿を消してしまった。
輸送船と共にいた巡視船の海上保安官である米森は、自身に責任を感じ環礁調査に乗り出す。
同じ頃、九州は姫神島にて別の怪奇事件が発生。島に暮らす住民がすべて、一夜にして姿を消してしまったのだ。
住民の一人が言い残した言葉——「鳥だ!」それを頼りに大迫刑事が向かったのは、鳥類学者の長峰真弓。師である平田がちょうど姫神島に訪れていた……つまり共に失踪してしまったこともあり、長峰は姫神島に向かう。
しかしそこにあった集落は、廃墟と化してしまっていた。
「この集落には何人くらい人がいたんですか?」
「全部で6世帯、17人……」
「それが全部"鳥"のせいで姿を消したと?」
嵐が来たよりも更に酷い惨状を前に長峰は踵を返す。
「ありえません。こんなことが可能な生物は、私の知る限り……人間だけです」
しかしそこにあったペレット(猛禽類が排出する未消化物)のような巨大な物体を目前にし、彼女が学者として調査し始めた折……その中から取り出された『万年筆』を見て、呟いた。
「平田先生のです——」
長峰の前に姿を現すギャオス。米森の前で復活するガメラ。二種類の怪獣を前に対応を迫られる自衛隊。
ギャオスとガメラと人間、破壊するものと守るものと生きるもの。三者が互いに相まみえたのは福岡の地だった——。
良い点
・シナリオのテンポが良い
印象での怪獣映画といえば基本的に「人間が話し合い・怪獣が戦う」という2パートで構成され、自然と人間パートが多くなりがちです。緩急の問題や製作上での話などいろいろありますが要するに『怪獣が戦う舞台を整える』ためですので、怪獣を期待してるのにそこに至るまでの人間パートがだるい……ということもあったりなかったり(めっちゃ作品によります)。
しかし本作はとにかく展開がスピーディ。
最初に本格的に怪獣が登場するのは13分目のギャオス。そこまでを「ガメラを追う米森パート」「ギャオスを追う長峰パート」が交互に展開されつつ、無理のない導入で流れるように怪獣パートへの土台を作ってくれます。
以降もギャオスを中心として物語が動き、凶暴なその生態が次々と明らかにされていく過程、実際にギャオスが画面内で暴れまわることでの恐怖が人間パートの刺激となります。
その間に挟まれる"良い台詞"もまた特徴的ですね。
「でも、それ以上に生物として不自然な点があります。雛のすべてが雌なのです」
「どうやって繁殖するのかね。……いや、繁殖しないということか。だったら、残りは二羽だけだ。
トキ以上に、重要な野鳥と言えるかもしれん!」
「──トキは人を食いませんよ」
「富士山は遠いですか?」
「いや遠いっちゃ遠いけど、あそこは今怪獣が」
「行けるとこまでで構いません、お願いします」
「ダメダメ、怪獣見るなら映画館で観な」
「どうしても行かなきゃいけないんです、お願いします」
名言として取り沙汰すよりも、この映画の中でこういった台詞が自然と流れてくるのが美しい。
物語の筋も、ギャオス・ガメラ・人間の三者が入り乱れているのにも関わらず、観ていて混乱しないどころかスッキリと一つの道になっていく手腕は「お見事」と言うほかありません。王道でありながらも決して飽きない、ある意味とても難しい作品なのにも関わらず、です。
それらを95分という時間で描き切ってしまうからまたこれも素晴らしい……。
・人が死ぬ!怖い!でもグロくない
これは私の好みなんですが、「いや死ぬでしょう」ってところではちゃんとモブの被害が描かれていてほしいなって思うんですね。
本作では敵役であるギャオスの脅威を主軸にしていますが、その重みとして人が死にます。とことん死にます。ギャオスは人を食べます。あらすじに出ていた平田先生は、劇中では一切姿を見せていないのに食べられます。なんなら他にも「劇中登場していないのに食べられた人」はいますし、普通に登場して食べられるモブもいます。
それらの描写がまたエグい。ファースト犠牲者でありギャオスの具体的な脅威を見せつける役割の平田先生が「怪獣の未消化物から遺品が出てくる」という演出であることからもお分かりでしょう。ギャオスが人を食べている様子をたびたびお出ししてきますし、ギャオスが都心に現れた際の被害なんてもうトラウマ製造機なんじゃないかと。
それでも血飛沫が飛んだり、人間の断面が見えるとかの要素は一切ないところが大好きです。この点でも私は信頼しています。モブの被害は好きですがグロやスプラッタは大の苦手という方にも是非とも見ていただきたいですね……。
全体的に『恐怖』を出しながらも『グロ』は避けたところに、娯楽としての怪獣映画の趣を感じます。
・分かりやすく迫力のある絵面
これは主に特撮パートになりますね。
ギャオスもガメラも戦い方としては基本的に地味になるわけですけれども、戦闘シーンを人間の視点で撮影していたり、あるいは双方の視点から映してみたり、そういった映像の工夫で観ていて飽きない・それでいて分かりやすい戦闘になっていたのが素晴らしかったです。
終盤の(タイトル通り)空中決戦シーンではそれが分かりやすく出ており、ミニチュアの街並みを飛びぬけるシーンなんかは特に映画館の大きなスクリーンで観たかったですね……。
戦闘以外にも見せ場の要所要所で『言葉にしない説明』『一目でわかること』を出していることもあり、映画媒体を活かした作品になっていました。
悪い点
・映像の古さによるチープさ
これは仕方ないんですが、たとえばギャオスが人を食っているところでは操演感が目立っていたり、空中決戦シーンでも飛行の合成に時代を感じてしまったり、古さゆえにちょっと引っかかるシーンがあるなと思いました。
でも全体的な面白さは損なわないし、この時代の特撮作品に慣れてる人は最初から気にもしないレベルです。
・浅黄のたどたどしさ
ガメラの巫女的役割を果たし、ガメラが守る「子供」としてもフィーチャーされる浅黄の演技が、かなりたどたどしいのが気になりました。
主要人物なのもあって最初から最後まで登場するので、引っかかるひとはとことん引っかかるかもしれない。一瞬だけ登場した同級生の子の方が演技上手いな……。
でも最終決戦開始時の「——来た。」っていうセリフは好きなんですよね!長門有希的な感じのキャラだったらむしろ良かったのかもしれないけど、それだとお父さんとの関係での演出が分かりにくくなっちゃうしなー。うむむ……。
・わんちゃんがかわいそう
一瞬だけどわんちゃんがかわいそうです。犬好きの方は気を付けてください。具体的に言うと15分ちょうど~15分20秒ぐらいのあたりです。
それ以降はわんちゃん登場しないので安心していただいて大丈夫です。
ねこちゃん派の人は始終大丈夫です。
ザリガニ派の人はエビラと間違えてませんか?『大怪獣空中決戦』と『南海の大決闘』でサブタイもちょっと似てますが、エビラは海です。ゴジラです。
~総評~
映像もシナリオもキャラクターもとても良く、『王道の面白い怪獣映画』でした。
主人公コンビやそのほかの登場人物に関しても、愛嬌がありますが癖はなく、人間をメインとしつつも出しすぎないという細やかなバランスが本当に素晴らしい。
何度見ても飽きずに、聞いていて「良い」と思う台詞や挟まれる映像美は25年以上経った今でも通用するレベルだと思います。
いつかまたリバイバル上映してくれることを願って。